字が汚い

高校のときに、情報系の学科に入ってから、長い文章を記すのはワープロ機能で、というのが当たり前になってしまった。
携帯、スマホもずっと使っているため、文字を書くときに簡単な漢字をど忘れしてしまうことがよくある。
文字を書く習慣があまりないが、スマホでは予測変換が表示されるから、読めるが書けない、という状態だ。

手書きの手帳を使っているが、走り書きとはいえ、誰にも見せたくないほど雑な文字が並んでいる。
高校時代のバイト先で、売り上げ日報を書く作業があった。
レジの計算をしてから書き記すのだが、このときに字が汚いとパートさんに注意書きが回ってきたほどだった。

私、字が下手だから、と言いながら書いていたが、「字が下手なのと、字が汚いのは別物。
あなたは丁寧に書こうという気が無い”字が汚い”方の人。」だと言われたことを今でもずっと覚えている。

日報に書くのは数字のみだが、早く帰りたい一心で書いていることが数字に出ているそうだ。
字が汚い人は雑に自分の都合だけで書いているが、これを誰かが読むと考えたらそんな風には書けないはず。
字が”下手”だというならば、せめて丁寧に書こうという気を持ちなさいといわれた。

それから、私は字が下手ではなくて、綺麗に書く気が無かったと思い知った。
冠婚葬祭の場での記帳や、手紙など、今や手書きするときは「大事な場面」ということが多くなった。
そんな大事な場面において、急いで文字を記す必要はない。

時間をかけないと上手に書けないならば、人以上に時間をかけて丁寧に言葉を記そうと心がけている。

返事を待つ楽しさ

2年ほど連絡をとっていなかった元上司であり、高校の後でもある女の子に、こどもが生まれたことを報告するため、年賀状を送った。
数日後、書留が送られてきて、なんとその後輩からのお祝いが送られてきた。

ちょっとした報告のつもりが、気を使わせてしまったことをお詫びし、こちらからもさらに連絡をした。
このように連絡を取り合っていなかった懐かしい相手と、連絡を取り合うきっかけにできると思う。
その人から送られてきた手紙を読むと、一緒に働いていた時の出来事や、学生時代の思い出を思い返し、とても懐かしい気持ちになった。

忘れていた楽しかった出来事も思い出し、温かな気持ちになることができると思う。

我が家で意外に多いこと、それは書き損じ年賀状が当たることである。
気合を入れて書くためか、はたまた字が汚いためどうしても気に入らない場合書き直してしまう癖があるためか、5枚ほどの書き損じハガキが出でしまう。

普通のはがきと違い、年賀状やかもめーるはくじがついているため、切手に取り替えに行くことも、早々に出来ない。
油断は禁物である。
そうして、大事に取っておくと、一枚ないし二枚ほど、当たりが出ることがあるのである。

年賀状を送った方々には大変申し訳ないのだが、ラッキー!!と思ってしまうのが人間の性かと思う。
もしくはたまに、当たりが多い場合、書き損じたのは運命だったのでは?と思うこともある。
我が家に多い、珍しい現象である。

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