年をとると言うこと

同窓会というイベントは残酷なイベントである。
それを聞いて、私が最初にした事は「髪の毛をバッサリ切る」という事だった。

髪の毛が長いと、手入れが楽なぶんどうしても怠けた感じがするし実際怠けている。
そして、私の昔の髪型は、さきほども書いたとおりショートカットだ。
同窓会の誰もが思うように「変わらないね~」と言われたいがため、昔と同じ髪型に戻した(!?)のだ。

服もシンプルでボーイッシュなパンツスーツに決め、メイクもナチュラルにしていくぶん緊張しながら同窓会に向かった。
結果「変わらないね~、すぐわかったよ」と言われ、心の中でガッツポーズを決めたあと、あの「伝説」のHとIを改めて見ると、

「変わっていた!」のだ。
それも「ものすごいいい女になっていた」という、まるで後光が差したがごとくの輝きを放っていた。
それは数十年の歳月とそれぞれの人生が、少女を女に変え、まさに内面から出ているいい女のアラフォーオーラだった。

ふと私を見ると「形だけ昔っぽくしたアラフォー」だ!と愕然。
それでも、HもIも、気の置けない友達なので、同窓会は大いに盛り上がった。
「二次会でも行こうか~?」とひとりで舞い上がった酔っ払い状態の私が聞くと「まぁそれは次のお楽しみしような」とふたりは颯爽と終電で帰路に向かった。

その後姿も、ほれぼれするほどかっこよかった。
ちなみに、呑み足りない私は、無理矢理数人をひきずって二次会で大いに呑んで、翌日二日酔いで昼過ぎまで寝ていた。
容姿を差し引いたとしても、あれだけのいい女になるには、私にはまだまだ修行が足りないようだ。

家族の顔が似ること

夫婦と言うのは恐ろしいものだ。
年々顔が似てくる。
最初似ていなかった筈の夫婦も、年をとるとなんだか同じような顔つきになってくる。
といった旨のことを言った人があった。

全くその通りである。
どうしてああも似るのだろうか。
夫婦で並んで散歩しているような人は大抵みんな似ている。

同じものを食べ、同じ家に住み、同じような生活リズムで暮らしていくと、自ずと同属の人間になるのだろうか。
それとも、もともと同様の要素のあるものが、類は共を呼ぶという流れの話だろうか。
実に不思議である。

そしてもう一つ、こちらも実に不思議なことだが、人間が連れている犬も、飼い主にそっくりである。
鼻筋のすっと通って、すらりとしたスレンダーな犬、高貴な雰囲気の気品のある犬、もしくは強そうな、賢い瞳をもった犬。
そんな犬なら似ていると言われればむしろ得意にもなろうというものだ。

けれども、特にブルドックやパグやら、ちょっとユニークな顔つきの犬は要注意である。
そして残念なことに、人間と犬がそっくりと言われる場合に限ってこの類の犬種であることが多い。

我が家にもかつてシー・ズーがいた。
この犬種も実に個性的、ユニークな顔をしている。
我が家の愛犬も、夏場には毛をすっかり刈り上げて涼しいようにしていたのだが、その時の顔たるや、我が家人たちをしても珍妙珍奇と思わざるを得ないものだった。

家族としてはもちろん愛してやまない。
けれども、果たして似ていると言われたとき、それを喜ばしきと受け取れるだろうか。
この場合に関しては、夫婦のように同じ生活をしているから自然に顔つきが似てきた、とも言い切れないという点がネックなのであるのは言うまでもない。

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